Lamb of God ラム・オブ・ゴッド

ピュア・アメリカン・へヴィ・メタルの正統的後継者にして最大のカリスマ、Lamb of God。

1990年、BURN THE PRIEST名義でバンド活動をスタートさせる。98年にファースト・アルバム『Burn the Priest』を発表、2000年にはProsthetic Recordsとの契約を獲得するが、その過激なバンド名のため数々の会場から出入り禁止処分となってしまっていた経緯からバンド名をLamb of Godに改名する。

Lamb of God名義でのデビュー・アルバム『New American Gospel』を発表、スレイヤーやパンテラといった先人達の強靭なピュア・アメリカン・メタルを継承したこの作品はメディア、ファンからの絶賛を受けた。
2003年には『As the Palaces Burn』を発表、リヴォルヴァー誌やメタル・ハマー誌では“アルバム・オヴ・ザ・イヤー”を獲得、 さらにはローリング・ストーン誌といったメインストリームのプレスでも積極的に取り上げられ、その人気をさらに高めていく。翌年2004年、メジャーのEpic Recordsに移籍を果たし、その後発表された3作目『Ashes of the Wake』で、既にコアなファンから称賛を受けていた彼らが一気にメタル・シーンにおける本格的な王座候補として注目を集めるようになる。この作品はビルボード・チャート27位を記録、各雑誌にて”アルバム・オヴ・ザ・イヤー”に選出されるなど、さらにスケール・アップした人気をシーンに見せつけていく。
2006年には4作目となる『Sacrament』を発表、全世界に火がつき始めていた彼らはビルボード・チャート初登場8位に送り込む。その後もスレイヤーやメガデスとの全米ツアー、各国のフェスティバルへの出演(同年6月に開催されたLoud Park 06にも出演)と、規模を大きくしながらワールド・ツアーを実施、各地でその強靭なパフォーマンスを見せつけていく。この作品ではグラミー賞にもノミネートされるなど、よりメインストリームな音楽シーンからも一目置かれる存在としてメタル・シーンに君臨していく。

2008年、バンドは北米以外のテリトリーで新たにRoadrunner Recordsと契約を交わし、2009年2月、移籍第一弾となる5作目『Wrath』を発表、ビルボード・チャート初登場2位という快挙を打ち立てる。リリース直後となる3月にはイン・フレイムス、アンアースらと共に来日公演を行い、その後もメタリカとの全米ツアー、ヘッドラインでのヨーロッパ・ツアー、フェスティバルへの出演など、そのとてつもない存在感をシーンに見せつけていく(2010年には単独来日公演も大成功に収めている)。今作からの楽曲は2010年、2011年のグラミー賞「ベスト・メタル・パフォーマンス」部門に2年連続でノミネートされるという快挙を成し遂げ、ビルボード・チャート2位、映像作品はすべてプラチナムを獲得、3度のグラミー賞ノミネート、おびただしい数のツアー…、その輝かしい記録は、彼らの「信念」に基づいたエクストリームな音像がしっかりとコア層をとらえ、一般層からも無視できないほどの存在感を放っている証拠だと言えるだろう。
2012年には通算7枚目となる『Resolution』をリリースし、同年に来日も果たす。トレンドなど一切関係のない所で自らの信念/やりたい事を純粋に音に吐き出していくLamb of God。彼らがメタルの新たなトレンドを作り上げているのだ、とも言えるのかもしれない。

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H.I.P.

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